徳川家御三卿って何?御三家と違うの?「晴天を衝け」徳川慶喜 【前編】

こんにちは!
最近、吉沢亮主演の大河ドラマ「晴天を衝け」にハマっているくりぼーです。
ドラマの中で、水戸藩の生まれだった草彅剛演じる松平七郎麻呂が江戸の一橋家を相続して徳川慶喜に名前を変えるんですけどね、やれ御三家だの御三卿だの言葉が飛び交っていて大学受験では世界史選択だった私はちょっと頭がこんがらがってしまいました(笑)

くりぼー

水戸家は御三家だよね。
御三卿って何だっけ?


という訳で、今回は徳川幕府の【御三家・御三卿】について調べてみました!
かなり長くなってしまうので前編で御三家後編で御三卿の2部構成とさせていただきます。

後編はこちら👇

徳川家康

日本人なら御三家くらい知っておきなさい。

目次

「御三家」とは

「徳川御三家」とは江戸幕府初代将軍である徳川家康が徳川家の存続のために遺したものと言われています。

「徳川 義直(よしなお)」⇒尾張家初代
「徳川 頼宣(よりのぶ)」⇒紀州家初代
「徳川 頼房(よりふさ)」⇒水戸家初代 
として息子たちをそれぞれ徳川将軍家から独立した大名家にしました。

徳川家康

跡継ぎが居なくなったら困るから
秀忠の弟達をそれぞれ独立した大名にするぞ

徳川家の血統の保存を目的とし、徳川将軍家に跡継ぎが無い場合、御三家の中から後嗣(あとつぎ)を出す資格を持たせました。 (徳川家の血筋の予備)

御三家は親藩(徳川家康の男系男子の子孫が始祖となっている藩)の中でも最高位にあり、徳川将軍家と同じように「徳川」姓を名乗ることや「三つ葉葵」の家紋を使用することが許されました。

水戸家の頼房が徳川姓を許されたのは1636年とされており、それまでの33年間は「苗字定まらず」だったそうです。

他の2家よりも官位・官職の点では下でしたが、朝廷に対して次期将軍家の奏聞をする役割を持っていた事・江戸常勤であることなどから、5代将軍徳川綱吉のころから他の2家と共に御三家と呼ばれるようになりました。

尾張徳川家

徳川家康の九男・徳川義直を家祖とする大名家
徳川義直は、甲斐国(現在の山梨県)甲府藩主から兄の遺跡を継ぐ形で尾張国(現在の愛知県西部)清洲藩主を経て、尾張藩初代藩主となりました。

徳川将軍家に跡継ぎが無い時は他の御三家とともに後嗣(跡継ぎの事)を出す資格を有していたが、御三卿の創設などもあり、結局将軍を輩出することはありませんでした。

名古屋城を拠点にしていました。

徳川家康

ちなみに
名古屋城は私の命令で作らせたよ(天下普請)

天下普請とは:江戸幕府(徳川家康)が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のこと。城郭普請が有名ですが、道路整備や河川工事など様々なインフラ整備などの工事も行わせました。

紀州徳川家

徳川家康の十男・徳川頼宣を家祖とする大名家。

常陸国(現在の茨城県)水戸藩主、駿河国(現在の静岡県中部)駿河藩主を経て、紀州藩(現在の和歌山県と三重県南部)藩主となりました。

第5代藩主・吉宗が第8代将軍 徳川吉宗
第13代藩主・慶福が第14代将軍 徳川家茂となっており、紀州徳川家は、徳川御三家のなかで唯一、将軍を輩出した家です。

吉宗が徳川将軍家の後嗣に入り、新たに御三卿(田安徳川家・一橋徳川家・後に清水徳川家が加わる)を創始したことによって紀州家の血筋は大いに繁栄しました。

くりぼー

暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗だね!

徳川吉宗

あれはフィクションだよ。

日本史の授業では享保の改革が大きく取り上げられている吉宗ですが、とても好奇心旺盛な人物だったようで、享保13年(1728年)6月、自ら注文してベトナムから象を輸入し、長崎から江戸まで陸路で運ばせたという面白いエピソードが残っています。この事により、江戸に象ブームが巻き起こったそうです。
また、洋書の輸入を解禁としたことにより、長崎を中心に蘭学ブームが起こったり、江戸時代の日本に新たな文化を吹き込みました。


和歌山城を拠点にしていました。

史跡和歌山城HPより

徳川家茂は「晴天を衝け」では磯村勇斗さんが演じています。
家茂は時代に恵まれませんでしたが、立派な将軍だったそうです。

NHK「晴天を衝け」公式サイトより

水戸徳川家

徳川家康の十一男・徳川頼房を家祖とする大名家。

常陸国下妻藩(現在の茨城県下妻市)10万石の藩主となり、その後常陸国水戸藩主(現在の茨城県中部・北部)となりました。

水戸家は御三家であると同時に、水戸学を報じる勤皇家として知られており、「もし徳川宗家と朝廷との間に戦が起きたならば躊躇うことなく帝を奉ぜよ」との家訓があったとされています。

水戸学とは:常陸国水戸藩において形成された学風・学問。
日本は中国のように王朝が交代することなく天皇の位が神話時代から連綿と続いている特別な国であり、その国柄を守るために存在するのが将軍である。という考え方
第2代水戸藩主の徳川光圀によって始められた歴史書『大日本史』の編纂を通じて形成された。その後第9代藩主徳川斉昭のもとで尊王攘夷思想を発展させ、明治維新の思想的原動力となった。

くりぼー

徳川斉昭は竹中直人さんが演じていた慶喜のお父さんだね!
慶喜の尊王思想も水戸学から来ていたんだ。
まさか水戸黄門で有名な徳川光圀から始まった学問だとは…

水戸光圀

明治維新に影響を与えた凄い学問なんだよ
大政奉還も水戸学の影響で成しえたんだ。

9代藩主の徳川斉昭の子で一橋徳川家に養子に入った徳川慶喜が15代将軍となることで、江戸幕府最後の将軍を出すことになりました。しかし、慶喜自身は水戸家の当主にはなっていない事から御三卿の一橋家から将軍を出したという見方が一般的です。

くりぼー

血統的には水戸徳川家なんだけどね

水戸城を拠点にしていました

一般社団法人 水戸観光コンベンション協会HPより引用

さいごに

前編である今回は、「御三家」とは?御三家のそれぞれについて、各家の有名な人物などを説明しました!

暴れん坊将軍で有名な吉宗が紀州徳川家出身だったことは知りませんでした。吉宗のエピソードもとても魅力的でした。まさか江戸時代に象ブームがあったとは…(笑)
また、水戸黄門で有名な水戸光圀の始めた学問が徳川斉昭・徳川慶喜達に影響を与え、ひいては幕末の尊王攘夷思想に繋がった。というのが非常に面白いなと思いました。

江戸時代に発展した学問・文化・歴史が現代日本の誕生に大きく関係していることが分かり、江戸幕府の偉大さを改めて思い知りました!
徳川幕府が、関東の利根川の大治水工事など300年に渡って水害対策をやってくれたおかげで今も首都東京は守られているという歴史もありますし、本当に徳川家康には感謝しなければいけませんね!

という訳で、後編は「御三卿」について解説します!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

徳川幕府に感謝しなさい

くりぼー

日光東照宮へ参拝に行かせて頂きます!

後編はこちら👇「御三卿」について



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